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大阪府出身。横浜国立大学大学院環境情報学府を経て、東京芸術大学大学院映像研究科在学中、黒沢清・北野武教授のもと修了制作『彼方からの手紙』を監督。大政絢・染谷将太出演作『嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん』(11)で商業映画監督デビュー。映画『5windows』(12)、『5windows eb/is』(15)、WEB配信ドラマの他、いきものがかり「ラブソングはとまらないよ」などのミュージックビデオや、ONWARD「any SiS」のTV-CMや他、ショートフィルムなども多数手がけている。
フィルモグラフィ
映画
5windows eb/is(2015)
5windows mountain mouth(2013)
5windows 劇場上映版(2012)
5windows(2011/Cinema de Nomad「漂流する映画館」)
humming(2011/仙台短篇映画祭 映画制作プロジェクト「311明日」)
嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん(2011)
にほんのうたフィルム「シャボン玉」(2010)
あとのまつり(2009)
彼方からの手紙(2008)
夕映え少女~むすめごころ~(2007)
港の話(2006)
とどまるか なくなるか(2002)
WEBドラマ
ネスレ キットカット「ベリーリッチマウンテンツアー」(2015)
ネスレ キットカット「ユア ストーリー」(2015)
リクルートマーケティングパートナーズ ヴィジョンムービー(2014)
UULAオリジナル恋愛体感ドラマ
『ファーストクラス』エピソード4.「レンアイカンソク」(2013)
BeeTV&VIDEOストア「ハイスクールドライブ」(2012)
auビデオパスドラマ「コレカラ」(2012)
全日空ANA webドラマ「空の話」(2012)

TVドラマ
ヴァンパイア・ヘヴン(2013/テレビ東京系)
吉祥寺初の娯楽施設・映画館「井の頭会館」に務めた父が、1951年に武蔵野映画劇場を設立。その後を受けて「吉祥寺バウスシアター」を1984年にオープン。映画だけではなく、演劇、音楽ライヴ、落語などの上演も行い、吉祥寺の文化拠点として多くのファンを集めたが、2014年閉館。2016年、映画制作のために「株式会社本田プロモーションBAUS」を設立。
山梨県出身。ビデオ、単行本、CDなどを製作・発売するレーベル「boid」を98年に設立。04年から、東京・吉祥寺バウスシアターにて、音楽用のライヴ音響システムを使用しての爆音上映シリーズを企画。08年より「爆音映画祭」を開始、バウスシアター閉館後も、爆音上映は全国に広がっている。批評集に『映画は爆音でささやく』がある。
東京都出身。雑誌編集者を務めた後、『おかえり』(96/篠崎誠監督)から映画に携わる。プロデュース作品に『カナリア』(04/塩田明彦監督)、『恋するマドリ』(07/大九明子監督)、『アブラクサスの祭』(10/加藤直輝監督)、『雨にゆれる女』(16/半野喜弘監督)などがある。『岸辺の旅』(15/黒沢清監督)は、カンヌ国際映画祭ある視点部門で監督賞を受賞。
主な作品に『不気味なものの肌に触れる』(14/濱口竜介監督)、『グッド・ストライプス』(15/岨手由貴子監督)、『ディアーディアー』(15/菊地建雄監督)、『蜃気楼の舟』(15/竹馬靖具監督)、『ディストラクション・ベイビーズ』(16/真利子哲也監督)、『ふきげんな過去』(16/前田司郎監督)などがある。瀬田監督の作品には、『5windows』シリーズに続いての参加。
千葉県出身。主な作品に井口奈己監督の『人のセックスを笑うな』(07)と『ニシノユキヒコの恋と冒険』(14)、冨永昌敬監督の『乱暴と待機』(10)と『ローリング』(15)、真利子哲也監督の『NINIFUNI』(11)『FUN FAIR』(12)『ディストラクション・ベイビーズ』(16)、瀬々敬久監督の『罪人の嘘』(14 / TV)と『64 ロクヨン 前後編』(16)、『滝を見にいく』(14 /沖田修一監督)など。
石川県出身。主な作品に、黒沢清監督の『叫』(06)、『岸辺の旅』(15)、『クリーピー 偽りの殺人』(16)、沖田修一監督の『南極料理人』(09)と『横道世之介』(12)、『ノルウェイの森』(10 /トラン・アン・ユン監督)、『紙の月』(14 /吉田大八監督)、『味園ユニバース』(15 /山下敦弘監督)、『恋人たち』(15 /橋口亮輔監督)など。
文化服装学院卒業後、スタイリスト千葉浩子氏に師事し、2007年よりフリーのスタイリストとして活動。2015年にはNHK連続テレビ小説「まれ」の衣装スタイリングを担当し、雑誌やMV、広告、映画など活動は多岐に渡る。また独自の目線でファッションと人を捉えた『ギリギリマガジン』を自費出版で不定期に発行している。
――この作品を監督することになった経緯を教えてください。
瀬田 吉祥寺のバウスシアターが閉館した2014年の秋に、ゼネラルプロデューサーの樋口泰人さんから「こんな企画があるんですが、どうですか?」とオファーを受けました。井の頭公園が主役になる映画ということで、横浜黄金町を舞台にした『5windows』に結びつくものを感じて、興味を持ちました。本格的に動き始めたのは翌2015年のお正月から。撮影は2016年春に行う予定になっていたので、シナリオハンティングをしたり、脚本を練ったりする時間は、けっこう贅沢に使えました。
――脚本の執筆はどのように進んだのですか?
瀬田 今回のスタッフやキャストには吉祥寺と縁が深い方が多いのに、私自身はあまりこの街のことを知らなかったので、公園や街を歩き廻ることから始めました。登場人物のうち、ひとりは吉祥寺に住んでいて、もうひとりは他の場所からやってくる設定にすれば、いろんな視点で撮れると思いました。そこには自分の立場もある程度反映していたかもしれません。それから、井の頭公園の100周年を記念する作品なので、現在、過去、未来が混在する物語にすることは最初から決めていました。以前から、作品のなかで時間を重層的に描くのが好きで、いろいろな試みをしてきました。いくつかの時間を混ぜ合わせることで、映画にしかできない表現が可能になると思うんです。若い人たちが父親や祖母の世代と何かを介してつながり、時間が交錯していく物語はどうかと考えました。そこから、偶然に集まった若者たちがその何かを探して公園をぐるぐる動き廻る、そんなイメージも浮かび上がってきました。最終的には、お父さんの遺品を手掛かりにオープンリールのテープを発見する展開になりましたが、そこに至るまでには、いろんなアイデアがあったんです。ちょうど井の頭公園が池の水を抜いて底を洗浄する「かいぼり」の作業をやっていた時期だったので、池の底からレコードが発見されるとか。ただレコードは実際には水に浮いてきちゃうらしいので、やめましたが(笑)。
――音楽が大きな役割を担う映画ですが、このアイデアはいつごろ出てきたのですか?
瀬田 最初は音楽の要素はあまりなかったんです。作品に登場するおばあちゃんについてスタッフで話し合っているうちに──結局、おばあちゃんではなくて、麻田浩さんが演じた「寺田さん」が登場することになったんですが──ふとオノ・ヨーコさんの名前が出てきたんです。私はもっと年齢相応に老けたイメージしかなかったので、そうか、オノ・ヨーコさんだって80代なんだ! とおばあちゃん像をひっくり返されました。そこから、ありえなかったジョン・レノンとオノ・ヨーコの物語、みたいな方向に連想が働いて、音楽の比重がだんだん大きくなっていきました。音楽監修のトクマルシューゴさんの音楽は以前から聞いていて、今回一緒にできることになり、脚本段階から関わってもらいました。作りかけの曲から完成した曲までを段階的に使うアイデアも、トクマルさんとの話し合いのなかから出てきたものです。クライマックスのミュージカルシーンは、最初はもう少し小規模にやる予定だったんですけど、トクマルさんが素晴らしい劇中歌を作ってくれたので、これは盛り上がる場面にしようとスタッフも張り切って、結局、古今の名作ミュージカル映画を研究してビデオコンテを作るほどに至りました。撮影のときも、その場にいる人たちのテンションがどんどん上がっていくのがわかる感じで、偶然その場に居合わせた一般の方が映り込んでいたり、いろんなサプライズのある場面に仕上がったと思います。
――メインキャストの3人は最初から想定していたのですか?
瀬田 実は、脚本がまだ完成していない段階でオファーしました。当て書きではないですが、実際にお会いしてから少し修正した部分もあります。主人公は、ずっと目標を見つけられずにいて、最後に一歩踏み出す女の子にしたかったので、シナリオではもっとダメダメな人だったんですけど、橋本愛さんが演じることで、芯の通ったキャラクターになったと思います。今回はスタッフとも相談して、役者さんたちがなるべく自由に演じられるスタイルに徹したので、かっちりと動きを事前に決め込まず、細かい演技指導もなしでした。「思ったようにやってみてください」「もう少し軽く」みたいな、ふわっとしたことしか言わなかったのに、橋本さんは「はい、わかりました」と即答して、それしかないという演技をしてくれた。演出の意図をつかむ力があるんですね。永野芽郁さんも、何も言わなくても、自由にのびのびやってくれました。くるくる表情が変わって見ていて惹きつけられる、表現力豊かな女優さんです。染谷将太くんとは、これまで何度か一緒に仕事しているんですけど、今回は彼なりの視点でトキオを解釈して、コミカルな要素のあるキャラとして軽やかに演じてくれました。その場で思ってもみなかった動きを入れてくるので、周りも「ああ、こういう風に動いていいんだ」と刺激される。現場を引っ張ってくれる存在でした。
――撮影でこだわった点は?
瀬田 昼間の場面は照明を使わず、すべて自然光で撮影しました。レフ板も使っていません。夜もほぼ街灯だけ。少人数のスタッフで、なるべく軽やかにその瞬間の空気感を撮れる体制を作りました。公園の場面では、池と橋を魅力的に撮りたい、そして、立体的に公園や街を捉えたいと思いました。主人公が自転車で公園を廻る場面もぜひ入れたかった。自転車のスピード感が好きなんです。ひとりの人だけを追っていても、背景がすごい速さで変わり続けて、いろんな風景が撮れる。井の頭公園は車が入れないので、カメラマンが考案してくれて自転車の後ろにリヤカーをつけて走りながら撮影しました。リヤカーには私とカメラマンくらいしか乗れないので、他のスタッフは走りながら追いかける。自転車のシーンはみんなが走ってました。あと、井の頭線の井の頭公園駅付近で、電車の窓のすぐ下に公園が見えるポイントが一か所あるんですが、この場所はぜひ使いたいと思って、撮影しました。電車に乗っているハルと、公園で自転車に乗っている純の視線が交わる。アパートでの出会いもそうですが、距離を置いてふたりの人物が見つめ合うシチュエーションにわくわくするんです。
――純のアパートに吹いてくる風も印象的でした。
瀬田 風にもけっこうこだわりました。この映画では風が吹くと不思議なことが起きるんです。あのアパートは風がよく通る場所ではあるんですが、タイミングよく吹かないときは送風機も使いました。それに、橋本さんがカメラの前にくると、なぜか、いい風が吹くんです(笑)。純のアパートも、トキオの家も、寺田さんの家も、スタッフが苦労して探してくれて、すべて公園の周辺に実際にあるロケーションで撮影できたので、公園の光や風をうまく取り込むことができたと思います。ちなみに、公園全体を俯瞰するショットは、公園の脇に建っているマンションの屋上に特別に入れてもらって撮りました。
――閉館したバウスシアター前もロケ場所として登場していましたね。
瀬田 あの場所からすべてがスタートしたわけですから、あのシーンは入れたかった。考えてみれば、この映画はバウスシアターのオーナーだった本田さんの企画を、私をはじめ若いスタッフとキャストが集まって作品にしたわけで、「年長の世代が作りかけたものを子供や孫の世代が完成させる」という意味で、映画の物語と現実の出来事が重なっているんですよね。